師走20度事件

書いていないうちに前回の記事から約半年がたった。

季節はもう冬空真っ盛りの師走だが何故かこの頃最高気温が20度近い異常事態が起こっている。

国連かどこかのお偉いさんが「地球沸騰化時代」だと少し前に言っていたがあの発言が実現するのだろうか?

もし海が沸騰するような温度になってしまった場合地球生物はほぼ絶滅すると思うのだが……

 

 

政治的正しさの先にあるもの

最近「ポリティカルコレクトネス」と言う言葉が社会に溢れている。

この「ポリティカルコレクトネス」と言う言葉の意味は「政治的正当性」を意味するが私は最近この言葉が悪用されているように感じる 

具体的に最近の傾向としてはアニメ・映画などの芸術作品に対するポリティカルコレクトネスのごり押し等が目立つだろうか。

ここで一つ重要なことを言うがそもそも「ポリティカルコレクトネス」は政治的正当性を意味するのであって普遍的な「正しさ」を象徴するものでは無い。

この事をまず前提として覚えていてほしい。

そもそも政治的な正しさと言うものは時代によって流転する、

政治とは結局のところ利害と金と欲望のごった煮であり普遍的な正しさをもたらすほど高潔なものでは無いのだ

それなのに「政治的正しさ」だけを求めてゲームや映画に無理やりマイノリティを取り入れるのは悪手極まりないことである・

そもそもゲームや映画を含めた芸術と言うものはまず根底に世界観があり表現方法こそ異なれどその世界観に沿って描いて行くものなのである

要は芸術にとって一番大事なのは世界観であり極論すればキャラも役者も設定も世界観を描き出すためのペンでしかないと言えるのだ。

例えば日本の平安時代をモデルにした漫画で何の脈絡もなく白人が出てきたらそれはとてつもなく異様に見えるだろう

同じように円卓の騎士の物語を忠実に映像化した映画で突然日系人が出てきたらとてつもなく異様に見えるだろう

つまりはそう言う事である (最も上記二つの例にしても しっかりと世界観の段階で突然白人や日系人が出てきても無理が無い設定にすれば問題はないのは自明である)

即ちこれまでの積み重ねによってで出来た世界観こそが作品にとって重要なのでありその作品の世界観を無視してマイノリティを入れる事は芸術としての価値を下げるだけでなく

マイノリティたちの今後をも暗い物にしてしまうのだ。

誤解されないように言っておくが私は人種差別を許せない物だと思っているしマイノリティと言われる人たちの「もっと理解してもらいたい」と言う思いも痛いほどわかる

だがだからこそ現状のマイノリティのごり押しは危険なのである。

権利を主張するのもわかる 支援を必要としているのもわかる

だからこそ自分たちが他人を脅かしていないか慎重に振り返ることが重要なのである

もしそれを忘れて「政治的正しさ」だけを求めた時には悲劇が待ち構えている事だろう。

 

 

 

 

転売はなぜ悪なのか?

今日、Twitterを見ていたら「転売はなぜ悪なのか分からない」と言うツイートがあった。

当該のツイートの文章は上に私が書いた状況説明文よりは長かったのだがこのような文章を書くのにどこの誰とも知れず 政治信条さえわからぬ者のツイートを貼るわけにはいかないのでそのツイートを貼ることは控える。

それはともかく本題に移ろう。

なぜ転売をしてはいけないのかと言えばそれは欲しい人たちに行き渡らなくなり流通が滞るからだ。

流通が滞る結果となるのはそもそも転売対象が「欲しい人が大勢いる物」であり現代の転売の多くが「転売対象を買い占め値段を吊り上げる事で利益を得ようとするものだから」である。

この現代の転売方法による被害をもろに受けたのがSONYの最新ゲーム機であるPS5だ。

PS5を転売ヤーが買い占めた結果として市場への流通量が大幅に減った結果PS5が売れない=持ってない人が多い=ゲームも売れないという悪循環に陥り今年になるまでろくなPS5専用ソフトがほぼ無かったという悲劇を巻き起こしたのである。

個人的には転売行為自体は悪とは言い切れないと思っているが

現代の買い占め・売り惜しみと化した転売行為は悪だと断じるべきだと思っている。

 

現状の政治について

日本国の政治は荒れている。

まあこれは仕方ない事ではあると思う

何故なら現状は「政」という事を理解しない政治家が多いからだ。

民の事も考えず自らの金と地位ばかり気にするものばかりだから政が出来ないのだ。

消費税なども下げた方がいいのではあるが自分たちの金が減るから下げられないのだ

不甲斐ない話である

3・11の時の回顧録 オニオンスープと混ぜご飯

11年前の3月11日に日本を襲った未曽有の大災害 

東日本大震災東北地方太平洋沖地震の時私はまだ若かった。

私は当時学校で理科の授業を受けていたがあの時間が来てあの揺れが来た瞬間

(あ…これはまずいやつだ)と直感し机の下に隠れ揺れが収まるのを待った。

その時はまさかこのような大災害が起こっているとは夢にも思っていなかった。

その後状況確認のためある部屋に生徒皆で集まったのだが

地震直後は「3か所で地震が起こった」という情報しかなかった。

そして当時家に帰れなかった子も多く結果として私たちは学校で夕食を取ることになったのだが

その時出てきたのがアルファ化米を使った五目混ぜご飯とオニオンスープだったのである。(当然防災用の食事だった)

どちらも濃い味で私好みだったが

人生でまともに食べた防災食はこれが最初で最後だったため強烈に印象に残っている。

今でもオニオンスープを飲むとあの時の事を思い出すのだ。

その後は紆余曲折あって家に帰りつけたのだ

その直後に食べた丸いチョコレートの味と、ニュースを見るためにつけっぱなしになっていたテレビの様子は今でも思い出せる。

恐らく私自身家に帰りついたときに安堵していたのだろう。

もう二度とあのような災害が起こらない事を祈るばかりである。

 

 

令和 今日この頃

令和になって4年と8か月が過ぎたが世界は荒れに荒れている。

新型コロナウイルスが猛威を振るい、安倍晋三元首相は暗殺され国葬にするか否かで論争となり、挙句の果てにサル痘が日本に入ってきた、

ここ最近色々変事が起こり過ぎている。

世が世なら神の祟りとして認識され人身御供が行われていたであろう事は想像に難くないほどだ。

まあそんなことが令和の日本では起こりえないのは知っての通りである。

人権がある時代に生まれて本当に良かったと思う、